縁あって初めて湖畔に小さな田んぼを借りたのは2016年のことです。
そこで自分で稲を栽培し、収穫し、食べたときに、何か今までに感じたことのない、とても深く静かな喜びがありました。

泥の中に足を入れる感触、手に持った小さな苗を植える感触、苗が光を浴びてぐんぐんと成長する様子、やがて奇跡のように現れる稲穂、秋の風に揺れる黄金色の稲穂、それを鎌で刈り取るときの手の感触、そして、初めて食べたご飯の味。
それはおいしいという言葉以上の、何か今まで味わったことのない喜びでした。

ここで育ったお米を食べている、という喜び。
その光景を知っている。光や風を知っている。
育つ過程に深く関わっている。
私の体と光景が、ひとつながりのものになっていく喜び。

その喜びを手繰り寄せるように、少しづつ田んぼの面積を増やし、やがて自分たちだけでは食べきれないぐらい採れるようになったので友人たちに分けるようになりました。そしておいしかったと喜んでもらえると、それもまた嬉しくて、そうしてあるとき、自分も楽しく、周りの人にも喜んでもらえるこの稲作りを仕事にできたら、どんなに幸せなことだろうと思いワクワクして、思い切って農園を立ち上げることにしました。

お米を育てていて、いつも驚くのは、お米が自然に育っていく様子です。
確かに私たちの手を入れて、育ちやすい環境を整えるのですが、お米はあくまで、それ自体の自然の摂理により育っていきます。

お米は、光の結晶のようなものなのだと思います。
たっぷりと降り注いだ太陽の光が、山からの水と、微生物がたくさんいる土と、湖畔を吹き抜ける風と、そして私たちの手をいくらか入れることで、お米の一粒一粒になります。
だから私たちは、お米を食べることで、光を食べているのだと思います。
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自分が農園を立ち上げて、農業に本格的に取り組むことになるとは、考えていませんでした。
しかし振り返ると、今まで歩んできた道が、この水辺農園へとまっすぐにつながっていることを感じます。

私は21歳の時に自転車を持って日本を出て、アフリカの南端の喜望峰へ行きました。そしてそこから3年半の歳月をかけて、アフリカを縦断し、ヨーロッパとアジアを横断し、日本まで帰ってきました。39カ国を旅し、4万5000キロの距離を自転車で漕ぎました。
始まりは「いちばん遠い場所」という言葉でした。世界地図を見ていてふと「ここからいちばん遠い場所はどこだろう」と思いました。そしてアフリカの南端に喜望峰という地名を見つけ、ここから日本まで自転車で帰るという旅を思い付きました。
その旅は、私の内に強くあった「遠くへいきたい」「帰りたい」という二つの矛盾した感情を、同時に発露させる行為でした。 

二十代の終わりから、私は水源域の撮影を始めました。
それもまた、喜望峰からの旅と同じように、どうしてやらないといけないという強い想いに突き動かされて始めたことでした。水の始まりへと辿る行為を通して「私」という概念、存在の源を探るような想いがありました。沢登りをして、水源域の森を歩き続け、滝が現れたら登攀し、淵が現れたら泳ぎ、水源域の深い森の中で野宿し焚き火を見つめ、何泊もしながら水源を目指すという行為を繰り返し、写真を撮っていました。
水源域の光景は美しく、私たちの存在の源にこのような光景があることが嬉しくて、私は水源域へ通い、撮影を繰り返しました。

そうして私は、稲を育てることに出会います。
喜望峰からの長い道のりを漕ぐことがなかったら、水源域へ何度も通って撮影をすることがなかったら、私は農園を立ち上げてはいなかったでしょう。
どこかでずっと同じことをしているという感覚があります。
除草機を押しながら黙々と草取りをしている時、ふとチベットの荒野を漕ぎ続けていたことを思い出します。田んぼに降り注ぐ光を、稲の葉が受けている様子は、水源から絶えることなく湧き出てくる水を思い出します。

田んぼに立つまでの道のりは、田んぼに立ってからもずっと続いていくのでしょう。
この道をずっと歩いていくと、どんな光景が待っているのだろう。
自転車を漕ぎながら、沢登りをしながら、歩んでいた道のりを、今度は田んぼに立ちながら歩んでいます。


本郷毅史
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