水辺農園だより
Vol.1 2020年4月
「水辺農園」という名前の、農園を始めた。
なぜ水辺農園と名付けたのかと聞かれると、田んぼが水辺にあるから、木崎湖という湖のほとりに田んぼがあるから、そのまま文字通り水辺農園にしたと答えるのだけど、もう少し本当のことを言うと、水辺が好きだから、水辺という言葉が好きだから、水辺という言葉になぜか心が惹かれるから、というのが名付けた理由なのだと思う。
なぜ水辺はこんなにも気持ちがいいのだろう。
川でも海でも湖でもいい。水辺に行って時間を過ごすだけで、なぜか根源的に嬉しくなる。
水辺にいって、光が刺し込んで、それが水に反射して輝いていたら、もうそれだけで理由もなく幸せになれてしまう。この世界は大丈夫だと思えてしまう。
だから、農園の名前に、水辺という言葉を付けたのだと思う。
水辺農園では、主にお米を育て、販売し、生活の糧にしていく。
数年間かけて、そういう生活へと変化していった。
太陽の下、土の上、そして水辺で仕事がしたい、という強い想いに引っ張られるようにして変化していった。
そして今年の春から本格的に始まった。
この3月、そして4月、育苗をし、田んぼの仕事をしながら、いよいよ始まったという喜びをずっと感じていた。
今年から、田んぼの近くに、作業場と倉庫と車庫として、コンテナハウスを借りた。
ずっと使われていなかった場所で荒れ果てていたので、冬の間中ずっとコンテナハウスの中を片付けて、雪が溶けたら外を整備していった。
まだまだやりたいことはたくさんあるが、なんとか作業ができる場所は確保できて、3月下旬ごろからお米づくりは始まった。
まず、前年収穫したモミを、濃い塩水につけて、浮かぶものを取り除き、沈んだものを種もみとして使う。(塩水選)
選んだものをよく洗い、天日で乾燥させてから、60度のお湯に10分ほど浸けて、消毒する。(温湯処理)
そのあと水に12日間ほど浸けて、十分に浸水させる。(浸種)
それから25度ほどのお湯に二日ほどつけると、芽が出てくる。(催芽)
3月下旬から4月中旬までの、塩水選、温湯処理、浸種、催芽、という一連の作業の後に、種まきをすることになる。
育苗箱に種まきをして、土をかぶせて、水をかけて、しばらく暖かくした部屋に積み重ねる。
育苗はおそらく稲づくりの中でも一番気を使う。
その中でも特に、種まきをしてから発芽するまでの数日間は、本当に出てきてくれるのだろうかと、どうしても心配になる。
そんな最も心配していた日に、ふらりと音楽家の友人が訪ねて来てくれた。
育苗している場所に案内し、もうそろそろ芽が出てもいい頃なのだけど、まだ出てこないということを言うと、一緒に来た友達が「何か芽が出そうな歌を歌ってよ」と言った。そうしたら友人が、豊作祈願の民謡を、よく響く声で歌ってくれた。その声の響きが、発芽寸前の種もみたちを振動させ、目を覚まさせているようで、ああ大丈夫だ、これで絶対に芽が出ると思った。
そして翌日の朝、やはり芽が出ていた。
よく探すとほんの数本だけど、小さな小さな芽が出ていた。
これが今年の稲作の始まりだった。
この小さな芽を育て、10月の脱穀を終えるまでの半年間は、ずっと気にかけて過ごすことになる。天気の心配をし、稲の生育の心配をし、水や土や草や虫や病気の心配をし、その都度よく観察して、対処していく事になる。
ようやくほっとできるのは10月下旬ごろの、脱穀を終えて、モミが袋に詰まって、倉庫に積み上げられたときだ。
農園を始めた2020年は、記憶に残る年になっている。
新型コロナウイルスが世界中で流行し、ラジオをつけてもずっとそのニュースばかりになっている。
僕たちは現在、市営住宅に住み、そこからコンテナハウスと田んぼに毎日通い、作業をしている。人とはほとんど会わないので、農作業自体には影響はあまりない。
稲作は、延期や中止にはできないこと。それは生きていくことの土台のようなこと。
戦争が起きても、世界恐慌になっても、お米は作り続けるだろう。
世界が大変な事態になればなるほど、お米をしっかり育てることは大切な事になる。
そのことを実感した春でもあった。
元気なお米になるといい。
無事に育ってくれるといい。
毎年それしか願っていないのだけど、今年はより強く、そのことを願っている。