水辺農園だより
Vol.5 2020年8月

暑い、暑い8月だった。
6月7月とあれほど降り続いた雨がパタリとやんで、8月はほとんど雨が降らず、強い日差しが照り付けていた。あまりにも暑く、畔草かりをして汗をかいた後に、湖に入り泳いだりしていた。

そんな中でも、稲は順調に育っていった。
8月に入ってから、だんだん茎の中にある穂が上がってきて、そして今にも出てきそうになり、8月6日に穂が数本出ているのを発見した。

一番初めに出る穂のことを「はしりっぽ」という。
何度経験しても、このはじめて出てくる穂「はしりっぽ」を見つけたときは、とても嬉しくなる。ちゃんと出てきてくれたことが、本当に不思議で、驚いてしまう。

そしてそれからは、穂が続々と出てくる。
出てきた穂は、上の方から順に花が咲く。

稲に花が咲くことは、お米を自分で育てるまでは全く知らなかった。
目立たない、小さな花が、数時間だけ咲き、受粉したらすぐに閉じて、やがて一粒のお米になる。だからお米の粒の数だけ花が咲くことになる。

花が咲いている田んぼは、どこか近寄りがたいような気配がある。もうこの時期は田んぼの中に入ることはない。畔から見守るだけだ。

「枯れ木に花咲くに驚くより 、生木に花咲くに驚け」という言葉を思い出す。ある江戸時代の思想家の言葉らしいが、本当にそうだと思う。こうやってちゃんと花が咲くこと自体が不思議でならない。

花が咲き終わった穂から順に、中身が詰まり、重くなるのに従い、頭を垂れるようにしなっていく。これからは、穂がゆっくりと熟していく時期になる。太陽の光を存分に浴びて、張りのあるお米の粒ができていく。9月下旬には、透き通るような黄金色の田んぼになるだろう。

どうやら無事、秋には収穫を迎えられそうだ。
どの田んぼも順調に育っているので、ある程度の収量もあるだろう。
ようやく、広く多くの方からの予約を受け付けても大丈夫という状態までこぎつけられた。

ここまで長かったと感慨深いものがある。
4月の種まきからも長かったが、お米づくりをはじめてからこうやって販売できるようになるまでは、だいぶ長かった。

はじめてお米を育てたのは5年前だから、5年ほどかけて徐々に変化していった。自家用にほんの少しだけ育てることから、毎年面積を増やし、仕事としてようやく多くの方にお分けできるぐらいの収量になった。

かつて私は、憑かれたように水源域へ通っていた。
そして水源域に流れる水を見つめ、撮影していた。それがどうしてもやらないといけないことだった。
やがて縁あって、震災後の福島県の水源域を撮影するようになり、毎年通うようになった。そして何年目かから、阿武隈川の真夜中の水源の森を撮影するようになった。

真夜中の水源の森で、暗くてほとんど何も見えず、長時間露光しながらシャッターを開けて撮影している時、彼方からの微かな光を、ひとつぶひとつぶ集めていると感じていた。

そうやって真夜中から明け方まで撮影し、福島から長野へ帰り稲を育てるということをしていたら、お米のひとつぶひとつぶが、ひかりのつぶなのだということを、感じていった。
そのひかりのつぶというイメージが、緩やかに水源の撮影と稲を育てることの間に橋をかけていった。

ずっと、水とひかりの、ひとつぶひとつぶのイメージがある。
真夜中の水源の森の中で探し集めたひかり。そういうトンネルをくぐったことを普段は忘れているのだが、あのトンネルをくぐっていなかったら、稲に向き合う姿勢も違ったものになっていたかもしれない。

4月に水辺農園を立ち上げ、秋に水辺農園として初めてお米を販売する。
ようやくそれが目前まできている。秋の台風がどうなるかなど心配は尽きないが、きっと大丈夫だろう。

稲を育てるということは、草を取ったり水を調整したりと具体的な作業の連続なのだけど、そういう作業へと自分を向かわせているものが確かにある。なぜかずっと、わくわくしている。考えること、悩むことは尽きないけれど、田んぼを見回って、元気に育っている稲を見ると、いい稲だなあとみとれてしまい、風が吹き抜け、穂が揺れていると、それだけでもう、根拠なく世界は大丈夫だと思えてしまう。

感染症の不安が世界を覆っていても、稲は元気に穂を出し、実っている。ツバメが飛び交い、カエルが跳ねて、トンボが穂にとまっている。この世界は、相変わらず不思議と驚きに満ちている。穂の色がさめていき、黄金色の田んぼへと、ゆっくりと変化している。

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