水辺農園だより
Vol.11 2021年2月
田んぼの近くに作業場と倉庫として借りているコンテナハウスがある。
白い大きなコンテナが二つあり、その上に屋根がかかっていて、コンテナの間はウッドデッキがあって、窓もたくさんあって明るく、なかなかいい場所なのだが、昨年の冬に初めてここに来たときは、10年以上放置されていた場所だったので、かなり荒れていた。
敷地内に草や木が生え放題になっていて、大家さんの様々な物が無造作に置かれて埃をかぶっていた。
そこを、昨年の冬から時間さえあれば片付けていた。
だいぶ時間をかけてコツコツと片付けていたので、いまは見違えるようになっている。
そこにトラクターや田植え機、バインダーやハーベスターなど様々な機械を置いている。秋に収穫したモミも置いている。
また、もみすり機、石ぬき機、米選機、精米機なども少しづつ揃えていった。それらの機械は、秋に収穫したモミから、最終的に袋づめして食べてもらう白米や玄米の状態にするための機械だ。
やはりモミで保存して、発送前にその都度もみすりするのが一番鮮度を保てると思っているので、そういう機械も必要になってくる。
機械を置くのにもう少しスペースが必要で、この秋には今よりもモミを置く場所が必要になるので、冬のあいだも時間のあるときは、コンテナハウスの整理と掃除をしていた。
コンテナの上の、屋根との間のスペースを掃除し片付けてスペースをつくり、コンテナ内の使わない物たちを移動させた。おかげでコンテナ内にだいぶスペースができた。
コンテナ内の一角に、テーブルと椅子、小さなソファーを置いている。とても静かな場所なので、例えば集中して文章を書きたい時などは好んでコンテナハウスに行く。ソファーに寝そべって昼寝するにも最適な場所だ。
田んぼを耕作している時期は、昼にお弁当を食べてから、ここで昼寝をするのが習慣になっていた。
晴れていると窓からは蓮華岳の上の方が見えて、そこから見ると富士山のような端正な山容で、しばし見とれたりしている。
借りている場所なのだが、去年からずっと手を入れて片付けてきたからか、どんどん好きになってきている。
放置されていた場所、荒れていた場所に手を入れるということが、かなり好きなようだ。
変化が大きいのがいい。手を入れることでその場所をよく知ることができて、時間をかけて関係を築いていけるのがいい。
それはエネルギーのいることだけど、もしかしたらその場所を理解し、好きになる一番の近道なのかもしれない。
昨年は、春から何箇所かの場所で定点観測をしていた。
同じ場所からカメラを構えて、田んぼとその周りの風景を撮影していた。
冬の間にそれらの写真を整理して見直しているのだが、変化する様子がとても面白い。山の木々も、稲も、空の色や雲や天気も、あらゆる物事が、こんなにも変化しているのだということに、改めて気づかされる。
新しい光景を見たい。そう思って、憑かれるように様々な国を旅していた時期があった。様々な谷を遡行していた時期があった。そうやって、未だ見たことのないたくさんの光景に出会ってきた。
でも本当は、新しい光景は、それに気付けさえすれば、いつだって目の前にあるものなのだろう。
世界は日々、瞬間瞬間に、こんなにも変化しているのだから、もっと知ろうとすれば、もっとよく観察し理解しようとすれば、いつだって見たことのない光景が目の前に広がっているのだろう。
そういう心の姿勢さえあれば、見慣れた光景が、どんどん好きになり、毎日新しく出会い直せる。いつだって心を奪われる光景に出会える。
田畑の上に立つということ。
それは、その土地を、そこで育てている作物をよく観察し、理解しようとし、そしてどんどん好きになっていくということだ。
理解しようとすることと、好きになることはきっと同じことなのだと思う。
田んぼの上に厚く積もっていた雪もだいぶ溶けてきた。
もう少ししたら今年の稲作が始まる。
今年から田んぼがもう3枚増える。昨年に秋おこしはしたが、まだどこか、出会ったばかりの人のようによそよそしい。
今年一年かけて、何度も何度もその田に入り、自分の体を馴染ませて、その土地に出会って行きたい。そうやって時間をかけて築いていく先に出会える、新しい光景というものが、きっとあるだろう。
今はそうやって出会える光景に夢中になっている。