水辺農園だより
Vol.6 2020年9月



9月になってしばらくすると、緑色だった稲の葉がどんどん淡くなり、田んぼは黄金色の草原のように変わっていった。
穂が膨らんでいき、青かった穂も黄色く熟し、収穫の時が近づいてきた。

周りの田んぼは、一枚、また一枚と稲刈りが始まり、私たちの田んぼもいつ稲刈りをするか、毎日天気と、稲の状態をみていた。

風が吹くと稲穂が揺れて、逆光が葉を透きとおらせて、輝いている。
無数の赤トンボが田んぼの上を飛び交っている。
田んぼがこうやって豊かに稔ることを目指して、春からずっと成長の様子を見守っていたので、ようやく現れたこの光景を、すぐに稲刈りをして壊してしまうのがあまりにももったいなくて、ずっと眺めていたいとすら思っていたが、そういう訳にもいかない。

9月26日から稲刈りを始めることにした。
そして多くの人にアナウンスして、26日は皆でイベントのように稲刈りをすることにしたのだが、前日の25日に一日中雨が降り、田んぼがぬかるんで稲刈りができなくなったので、イベントは一週間延期することにした。

正直言って、しばらく稲刈りを延期できて、少しほっとした。
そしてイベントをする予定だった26日は、育苗の時からずっと観察していた二株の稲を、妻と二人で刈り取ることにした。
種まきをして、小さな芽が出た時からずっと観察して、その度ごとに撮影もしていた稲だ。一粒だった稲が、よく分けつし、立派な稲になっていた。
田んぼに行くたびごとによく観察していた稲だから、この二株の稲を刈ることで、諦めがつくような気がしていた。

稲は植物だから、動物ほどには心理的な抵抗が少ないのだけど、小さな芽だった時から知っているから、やはり抵抗はある。申し訳なさと感謝とがある。
静かに手を合わせてから、まず妻が刈り、次に私が刈る。手にザクっという感触があり、数ヶ月間かけて成長した稲が刈られてしまった。同時に、一箇所刈るだけで、田んぼ全体も何かが変わった気がした。
すぐに稲刈りを始めてしまわないで、稲を刈るということをしっかりと感じられたのがよかった。稲刈り前に、このような静かな時間がもてたことがよかった。

翌日から、本格的に稲刈りが始まった。
田んぼがぬかるんでいるので、水が引けるまでは手刈りして、それからはバインダーという機械で、どんどん刈っていく。すべての株を、何度も除草するために手で触っている。バインダー で刈りながらも、そのことを思い出さない訳にはいかない。
刈った稲は、天日干しにするために、ハゼにかけていく。連日友人が手伝いに来てくれてありがたい。

一週間延期した稲刈りイベントを、10月3日に行った。
遠くから近くから、40人近くの友人が来てくれた。多くの人と一緒に、かなりの面積を手刈りした。子供たちがたくさん刈ってくれた。こんなにたくさん友人が来てくれるのは、結婚式以来かもしれない。友人だけでなく、両家の親も、兄弟家族も親戚も来てくれた。
毎回来てくれる人がいて、はじめての人がいて、皆で農作業をして、お昼やお茶の時間は、湖畔の田んぼでいただく。ずっと曇り空だったけれど、午後に少しだけ日が差して、何か天国のような、平和な光景だった。
こういう時間を、年に二回、田植えと稲刈りのときにももてることは、何よりも贅沢なことだと思った。

翌日、翌々日も稲刈りをして、ようやくうるち米の稲刈りは終わった。後は少しだけモチ米があるだけだ。

稲刈りをする前は、あんなに躊躇していて、こんなにきれいな光景を壊してしまうなんてと思っていたのだけど、田んぼにハゼが立ち並んでいる光景もしみじみ美しく、農家は田んぼでお米をつくりながら、同時に風景もつくっているのだと改めて思う。

しかし、黄金色になった田んぼも、ハゼが立ち並ぶ田んぼも、わずかな期間だけ出現して、すぐにまた変化してしまう。

しばらく晴天が続くはずだったのに、台風が日本の南に発生したことで、天気予報が急変した。最初に稲刈りをしたところの稲は、もう乾いていたので、雨が降る前にあわてて一部の田んぼを脱穀をする。田んぼにはハゼがなくなり、ワラだけが残り、倉庫にお米が積まれた。

まだまだ脱穀は続くが、一部だけお米になり、倉庫に積まれたことで、またしみじみと嬉しい。ようやくここまでたどり着けた。
積まれているお米の向こう側に、様々な光景が透けて見える。
その時の手や足の感触の記憶がある。

とにかく、自分の体を動かして世界を知りたいという欲求が、ずっとある。
自分の体験を通してしか、世界を知る方法はないのではないかとすら思っている。

具体的に手足を動かして体験すること。体験したことを手がかりにして、考えること。
そうやって世界を知りたいという欲求がずっとあって、自分を突き動かしている。体験し、考えて、また体験するということを繰り返し、手探りしながら、世界を理解していきたいのだろう。

お米は、具体的なのがいい。
情報や、イメージや、言葉だけではなく、具体的に手足を動かしたら、具体的にお米が倉庫に積まれている。
手を合わせて、そのお米をいただくのが楽しみだ。
そのお米を、多くの方にお届けできるのがとても楽しみだ。


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